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三が日ストリップとふわふわした日

 

今朝目が覚めたら久しぶりにからっぽでスカスカする感じがして、どうしようもなくなった。最近はずっと母が来ていたり帰省したりしていて誰かが近くにいたからかもしれない。

 

昨日の出来事を思い出したままに書く。

男の子二人とお正月だから何か変なことしよう、と言って3人で新宿にストリップを見に行った。ステージの上で裸で全てをさらけ出して踊る彼女たちは強く、思わず見とれた。安っぽく回転するステージの上で、服を脱ぎ、何も隠さず全てをさらけ出す彼女たちには、下手したら神聖さすら感じる。紫に照らされる体の凹凸や曲線を見て、女の人の体は神秘だ、と同性であるのに思ってしまった。

いやらしさとは無縁のあの不思議な空間はしばらく忘れられないと思う。

 

ただ大学生の男の子二人と私という明らかに妙な組み合わせで、あの場では浮いていた気がするけど、行ってよかった。他の二人も出た後に感嘆のため息をついていた。

 

その後、深夜1時過ぎに新宿三丁目で飲む。

ビールを飲みながら将来結婚した後の専業主婦とか性別役割分業の話、自分の頭で考えて選択した人生を送りたいという話の後にでもやっぱりママ活・パパ活してお金もらいたくね?って話をして面白かった。でもやっぱりどこかで後ろめたくなってできないと思う。

愛の話

4年間付き合っている私の彼氏、穏やかで優しく、人間ができていて何より私のことをいくら月日を重ねても大切に扱ってくれる。私は恋愛は付き合った直後の何をしても好き好きモードを超えた後、何が二人の関係をそのまま良い方向で維持できるかと考えるとちょうど良い距離感と相手のことを尊敬できるかだと思う。

だからその話をしたら、それはもっともだ、でもそれは愛+尊敬なのであってお前にはその愛の部分がないんだよ。と言われてしまった。

二人は私が遊んでいることを知っている。言い訳をすれば私は色々なタイプの人間と関わって知らない世界を知りたい、そこから吸収したいという好奇心なのだが、そういう態度は向こうからしたら好意と受け取られるのもしょうがないと思う。それをいつも私は忘れて好奇心のまま突っ込んで、好意を向けられるといや、そんなつもりはなかったんだけど、と素で戸惑ってしまうとんだ迷惑野郎である。

そして確かに、最近私は彼氏とキスすることに拒否反応を示してきている。なぜかゾッとしてしまう。これはもう普通に考えたら終わりだと思うが、そういう恋人同士がするようなこと以外の部分はすごく好きでこれ以上感覚が合うような人はいないとさえ思う。まいったな。

 

朝5時の始発で帰る。

彼女がすごくかわいいって話を聞きながらなぜか気が滅入る。私は友達である彼の彼女に嫌われていてあいつとは飲みにいくなとまで言われているらしい。それはうけるなあ。嫌われている原因は忘年会で私と彼が仲よさそうに話しているのがダメだったらしい。

今日のこともバレたらやばいのだろう。でも女の勘で私がいることを何となく察しているらしく彼女のインスタのストーリーに心配で云々と書かれた病み気味の投稿がされているのを横目で見てた。

こういうことをにおわせてSNSにあげる女の子意味がわからないな、と言おうとしてやめた。やめて、始発の電車に乗っている人はみんなどんな夜を過ごしていたのかな、それとも早く起きてこれからどこかにいくのかな、とか想像してた。

 

家に帰ってきてすぐに寝る。

ちょうど仕事にいくために起きてきた兄と被って、私は大学生だなしみじみ思う。

お昼過ぎに起きたら冒頭に書いたようになぜか虚無感に襲われた。テレビをつけてもツイッターを見てもその感覚は消えない。多分いろんな出来事が統合できていないのかもしれないね。

考えることから逃げたらだめなんだよ

 

 

 

考えの侵食

社会学を大学で学んでいるけど、気がつかないうちに思考パターンが属している集団の考えの影響を受けているのかもなぁ、と友達と話していて思った。

 

例えばうつ病の人がいたとして、心理学だとその人の特性、性格、思考パターンを分類に当てはめて、「こういう傾向がある人はうつ病になりやすい」とする。

それに対して社会学うつ病の人がいたとしたらその人を取り巻く外部環境について考える。家族や友人といった人間関係はどんな状況か、会社の労働環境はどうか、等々。

 

今日話していた友達のゼミの先生は、大学時代に心理学を学んでいて、あるきっかけからその後大学院では社会学を学んでいたらしい。

大学院に進んで書いた論文を当時の先生に見せたところ、「あなたの論文は面白いけど考えが心理学だね」と言われ上のような説明をされたのだが、その意味がわからなかったという。

 

別にどっちがよくてどっちが悪いかということを言いたいわけではない。

その先生の話を聞いて、面白いし、なんとなく怖いな。と思った。

 

社会学や心理学とかそういった学問に限らず、人は今いる集団や属しているコミュニティ全体を取り巻く思考の型とかクセとかの影響を気がつかないうちに受けているのかもしれない。学校、会社、バイト先、家族、国家、とかとか。

強く主張してくるものに対しては意識的に防ぐことができるけど、無意識のうちにその集団の考え方が自分に染み込んでいて、そのことにさえ気がつかないとなると、怖くないか

 

うーん、一つのコミュニティじゃなくてなるべく多数のコミュニティに属して、違う考え方もあるんだよ、ということに早いうちから気がついた方が良いのかもしれない。

というかそれしかない気もする。

 

曖昧な境界線

個人を超えた大きなものと一体化したい

 

この考えが昔から私は強く根付いている

自然の中に溶け込みたい

夜や夕暮れ時の淡い空気とか向こう側に何も見えない太平洋の海とか背の高い木が濃く覆いしげる森の中とか

大きなライブ会場でステージに向かって全員が盛り上がり個人が融解して他者との境界が曖昧になる瞬間とか、そういった感覚を求めている

 

究極的には肉体を持った個人としての人間をやめて、多分LCLとかになりたいんだと思う。こういった人間を超越して自然と一体化したいという思想は東洋的なものなんだろうなあ。

西洋はまず神という絶対的なものがいて、神が一人一人の心の支えになっているから個人主義でも生きられるんだよ。日本はやめたほうがいいと思う、個人単位になると孤立感のほうが強い。

 

なんか禅とかお茶とか俳句とか茶道とかやりたいなー

日本的な人間なんだよ私は。高級ホテルの最上階のバーでカクテル飲むよりも晴れた日の縁側でお茶飲んでいたほうが、なんていうか良い。

 

破壊と生成


‪20歳最後の日にしたいことはなんだろうと考えた結果、工事現場を見に行くことだった。

工事現場は良い。作っているはずなのになぜか破壊しているようで、でも確実に完成に向かっている。

 


渋谷のヒカリエの展望スペースまで行き、1人で雨の降る街と人の流れと眼下の工事現場をしばらく眺めていた。

空は曇っていて、たくさんの人が傘をさしスクランブル交差点を一定の間隔で行き来していた。絶え間なく電車が走り、ビルに映しだされた広告がチカチカと何かを発信し続けている。

でも、外の騒がしい世界とは対照的に室内で見るそれはやけに静かだった。人が何かに向かってせわしなく動く渋谷の様子とは全く別の次元で、台風のためかあまり人もおらず雨音さえも遮断された静謐な空間  、


そこで確実に私は何者でもなかった。1人で、どこの世界にも属していなかった。身体と肉体から、精神から、私という名前を持った個体から解放され別の存在になれたのだ。

 

 

気がつくと泣いていた。これまでの全てのことが思い起こされた。私が傷つけてしまった人のこと、変わっていく周囲の人間、変わっていく自分。


明日私は1つ歳をとる。それは世界と溶け合うことからまた一歩遠ざかるのかもしれない。


それでも、自分という存在、全てをひっくるめて愛すよ。

また会える日を信じて。

 

母と娘

母が東京に遊びに来た。

 

昔は意見が食い違ったり母が更年期だったりでギスギスして、口を開けばケンカをするような時期もあったが、私が受験を乗り越える間に摩擦もすっかり取れて仲が良くなった。

私が一人暮らしをしてからは母がたまに遊びに来て、東京の色々な街を一緒に出掛ける。昔はこんなことが出来るようになるなんて、全く想像がつかなかった。

 

子育てが終わった母と、大学生となって自立した娘、今が一番理想的な関係だとしみじみ思う。

例えばまだ下に兄弟がいて子育てが終わっていなかったり、私が実家暮らしや就職していたりしたならば、自分たちの為だけに時間を使う贅沢を味わえなかっただろう。

 

 

母が来た時は美術館に行ったり築地や銀座、六本木や恵比寿などに出かけ、たまにの贅沢ということで思いっきり東京らしいことをする。

 

今回は会社で安くチケットが手に入ったということもあり、新橋演舞場でミュージカルを観たのちに銀座でランチをし、三越ハイブランドが並ぶ中であのバッグが良いこれは趣味が悪いなど好き勝手言いながらヒールで歩きまわった。

こう書くとお金持ちの家庭みたいだけれど、実際母は田舎で普通に働いて毎日車で会社まで通い、夜は実家が農業のため、ナバナや甘長唐辛子の葉をむく地味な仕事を夜遅くまでして数千円を稼ぐ祖母の手伝いをしている。

一席1万円以上するミュージカルを観に来ていたようなお金持ちの人達とは、全く別物なのだ。

 

 

田舎で暮らす母と東京に来て3年経った私。

私の方が大人になったなぁ、と思う瞬間がたまにある。

些細なことかもしれないが、お店のパスタを箸で食べようとしたりテーブルでの会計の仕方が分からなかったり、デパ地下の試飲で飲み物を配っているポットから自分で飲み物を注ごうとしたり、疲れたら所構わず座れそうな場所に座ろうとしてしまうといったところ。娘だからということもあり余計に気になってしまう。

 

そしてついに、「そういうのみっともないからやめてよ」と言ってしまった。

その言葉を口に出した瞬間に、あ、と思った。

昔叱られる時にそう言われていた子供の私が、こういうことを言うまでになったのか。

みっともないからやめて、と恥ずかしく思う気持ちと、母よりもいろいろなことを知ってしまった寂しさ。

複雑な感情。 

 

 

しかし、家に帰ると立場は一変した。

家に帰ってきて疲れたと言いながらグダグダする私と対照的に、母はテキパキと朝出かける前に干した洗濯物を取り込み、晩ご飯を作り、まるで止まってられないとばかりに床や洗面所の汚れを掃除しだす。

 

帰りに買ったヨロイズカのキッシュをもさもさと口にしながら私は思わず感心してしまう。

私の視線に気がついた母に、何ぼんやり見てんのと怒られ私はお使いを頼まれた。

お酢とフライ返しと指定のゴミ袋、百均で売っているイスの脚につけるカバー、折り畳み傘の修理。

 

これ、色んなお店に回らなきゃ行けないやつだ……と思いながらしぶしぶ自転車に乗って買い物に出かける。

夏の日がのびた17時は、日中とも日暮れとも言えずぼんやりとした不思議な明るさをしていた。

手書きで書かれたお使いメモを見ながら、なんとなく、母はやっぱりいつまでも母で、私は生活に関して何も出来ない子供だなぁ、思って少し笑ってしまった。

 

 

私がキッシュとはどんな食べ物か、ミュージカルと演劇はどう違うのか、ここのギャラリーはどんな展示をするのかなどを説明するかわりに、母はかぼちゃの煮付けの上手な作り方やエアコンフィルターや排水溝の掃除の仕方、季節の変わり目にやらなければならないことを私に伝えていく

 

昔はお母さんは何でも知っていて、お母さんが教えてくれることが一番正しいんだと盲目的に思っていた。誰しも少なからず、子供の時はそう思っているのではないだろうか。子供にとって母親という存在は神なのだ。

でも、母もいつも悩んで迷ってたまに失敗したりする、同じ人間なんだという当たり前のことに気がついた。私が大きくなって、そう気づくことができた。

これからは教えられるだけの娘じゃなくて、一緒に考えていくことができるんだな、迷ったことを共有して一緒に解決を見つけていけるんだな

 

それは新しく、とても理想的だ、と思った。

 

 

 

 

3日間の東京宿泊が終わり、また母は地元という日常に帰っていく。

「楽しかったわ。それじゃあ元気でね。火の元とか気をつけて、ちゃんと毎日3食たべなさいよ」という母に、うん。小さくうなずいてお母さんも元気でね、と手を振って改札口で別れた。

 

 

やっぱり私はまだ母に、ありがとうが上手く言えないくらい子供だ。

 

 

 

20歳の夏

毎年夏になるとどこかおかしくなるようで、夏休みが始まる前と後で全く違う自分になっていることを実感する

学校がなくなって一人になる時間が増えて色々なことを脈絡もなく思い出す。

 

高3の時から今まで、誰にも見せない日記を毎日欠かさず書いていた。

書かないと忘れてしまう気がしたのだ。今一瞬の、綺麗なだけじゃないもっとぐちゃぐちゃとした複雑な感情を。

 

 

高校生の時の日記を久しぶりに開いた。

高校生の時の日記を見返してみると自分が何者で将来何になれるのか常にぐるぐる考えて憂鬱でとがっていて、大人を俗世に染まった汚いもの、大事な感情を忘れてしまったものとして軽蔑していた。

 

 

学校では、ずっと一緒にいたわけではないけれど、私と考えが似ている友達のろろちゃんがいた。

つまり、自分たちだけが色々なことを考えていて特別だと2人で思っていたのだ。

 

ろろちゃんと、よく放課後に海が見えるバルコニーで、真っ赤に熟れた線香花火のような太陽が水平線に沈んでいくのを眺めながら話をした。

 

鳥のようにどこにでもいける存在になりたいけどちゃんと地に足がついてもいたい、センチメンタルな感情を忘れて大人になりたくないし、たくさんやるビッチにもなりたい。自分の好きなことだけして生きていたいし、誰かのためにもなりたい。有名になりたいけど誰の目にも触れたくない、早く大人になって東京に行きたいけど、ずっと制服を着てこの海の見える学校で女子高生でいたい。

この水彩絵の具のような、淡いグラデーションの空に溶けたい。

この瞬間のまま歳を重ねず時が止まればいいのに、と本気で思った。

 

でも私たちも含め人間は無力で、大きな流れにはただ身を任せるしかないのだ

 

 

 

大人と呼ばれる年齢になって、半年以上経った。

だいたいやりたかったことは叶っているし、お洒落で洗練された東京の街は狭く息苦しい田舎より何倍も楽しい。一度一人暮らしをさせて、色々な世界を見ることを許してくれた親に感謝している。

 

会わなくてもSNSをフォローしておけば、高校の時の同級生が今何をしているのかはだいたい分かる時代になった。

いつものようにSNSをほぼ無意識にチェックし、その一環で見たインスタグラムのストーリーに「かんぱーい!!」と大人数でジョッキをぶつける同級生が映っているのを見て、ふっと寂しくなってしまった。

 

制服を着ていた時のみんなは、やっぱりどこかに行ってしまったのかなぁ

 

 

社会に出たら繊細でいることなんかきっと甘えなんだろう。それよりも目の前のやらなきゃいけないこと、責任が増えて自分の感情に目を向ける時間などなくなって、お酒とか異性とか、そういうパッとしたわかりやすく楽しいものに流されていく。だって不透明な将来を考えることはめんどくさいし、不安で怖いから。

 

私も決して例外ではないことを思ってどうしようもない気持ちになり、思わずろろちゃんに連絡した。

 

「……そうだね、あの時は大人になった私たちを予測していた、感性も研ぎ澄まされていた。けど、今怖いと思えるのもいつまで続くのかという感じ。考えるのも鈍くなる。」 

「……けど私、信念だけは変えない。感性とか鈍くなるのは大きな流れの中ではしょうがないのかもしれないけど、自分のやりたいこと、正しいと思ったことには従いたい。その行動に責任を取るのが大人になるってことなんだと思う。」

 

 

  もちろんしなければいけない義務もある、世の中はそんな甘くなく、社会は理不尽なことだらけだろう。でも私は、あぁ、やっぱりろろちゃんがいてくれてよかった。と思った。

 

昔の何も知らずとがっていた自分を今でも誇りに思うし、「あの頃は若かった」なんて絶対に言わず一緒に生きていこう、と決めた

 

 

 

変わっていくのは多分、美しいことなんだ。