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母と娘

母が東京に遊びに来た。

 

昔は意見が食い違ったり母が更年期だったりでギスギスして、口を開けばケンカをするような時期もあったが、私が受験を乗り越える間に摩擦もすっかり取れて仲が良くなった。

私が一人暮らしをしてからは母がたまに遊びに来て、東京の色々な街を一緒に出掛ける。昔はこんなことが出来るようになるなんて、全く想像がつかなかった。

 

子育てが終わった母と、大学生となって自立した娘、今が一番理想的な関係だとしみじみ思う。

例えばまだ下に兄弟がいて子育てが終わっていなかったり、私が実家暮らしや就職していたりしたならば、自分たちの為だけに時間を使う贅沢を味わえなかっただろう。

 

 

母が来た時は美術館に行ったり築地や銀座、六本木や恵比寿などに出かけ、たまにの贅沢ということで思いっきり東京らしいことをする。

 

今回は会社で安くチケットが手に入ったということもあり、新橋演舞場でミュージカルを観たのちに銀座でランチをし、三越ハイブランドが並ぶ中であのバッグが良いこれは趣味が悪いなど好き勝手言いながらヒールで歩きまわった。

こう書くとお金持ちの家庭みたいだけれど、実際母は田舎で普通に働いて毎日車で会社まで通い、夜は実家が農業のため、ナバナや甘長唐辛子の葉をむく地味な仕事を夜遅くまでして数千円を稼ぐ祖母の手伝いをしている。

一席1万円以上するミュージカルを観に来ていたようなお金持ちの人達とは、全く別物なのだ。

 

 

田舎で暮らす母と東京に来て3年経った私。

私の方が大人になったなぁ、と思う瞬間がたまにある。

些細なことかもしれないが、お店のパスタを箸で食べようとしたりテーブルでの会計の仕方が分からなかったり、デパ地下の試飲で飲み物を配っているポットから自分で飲み物を注ごうとしたり、疲れたら所構わず座れそうな場所に座ろうとしてしまうといったところ。娘だからということもあり余計に気になってしまう。

 

そしてついに、「そういうのみっともないからやめてよ」と言ってしまった。

その言葉を口に出した瞬間に、あ、と思った。

昔叱られる時にそう言われていた子供の私が、こういうことを言うまでになったのか。

みっともないからやめて、と恥ずかしく思う気持ちと、母よりもいろいろなことを知ってしまった寂しさ。

複雑な感情。 

 

 

しかし、家に帰ると立場は一変した。

家に帰ってきて疲れたと言いながらグダグダする私と対照的に、母はテキパキと朝出かける前に干した洗濯物を取り込み、晩ご飯を作り、まるで止まってられないとばかりに床や洗面所の汚れを掃除しだす。

 

帰りに買ったヨロイズカのキッシュをもさもさと口にしながら私は思わず感心してしまう。

私の視線に気がついた母に、何ぼんやり見てんのと怒られ私はお使いを頼まれた。

お酢とフライ返しと指定のゴミ袋、百均で売っているイスの脚につけるカバー、折り畳み傘の修理。

 

これ、色んなお店に回らなきゃ行けないやつだ……と思いながらしぶしぶ自転車に乗って買い物に出かける。

夏の日がのびた17時は、日中とも日暮れとも言えずぼんやりとした不思議な明るさをしていた。

手書きで書かれたお使いメモを見ながら、なんとなく、母はやっぱりいつまでも母で、私は生活に関して何も出来ない子供だなぁ、思って少し笑ってしまった。

 

 

私がキッシュとはどんな食べ物か、ミュージカルと演劇はどう違うのか、ここのギャラリーはどんな展示をするのかなどを説明するかわりに、母はかぼちゃの煮付けの上手な作り方やエアコンフィルターや排水溝の掃除の仕方、季節の変わり目にやらなければならないことを私に伝えていく

 

昔はお母さんは何でも知っていて、お母さんが教えてくれることが一番正しいんだと盲目的に思っていた。誰しも少なからず、子供の時はそう思っているのではないだろうか。子供にとって母親という存在は神なのだ。

でも、母もいつも悩んで迷ってたまに失敗したりする、同じ人間なんだという当たり前のことに気がついた。私が大きくなって、そう気づくことができた。

これからは教えられるだけの娘じゃなくて、一緒に考えていくことができるんだな、迷ったことを共有して一緒に解決を見つけていけるんだな

 

それは新しく、とても理想的だ、と思った。

 

 

 

 

3日間の東京宿泊が終わり、また母は地元という日常に帰っていく。

「楽しかったわ。それじゃあ元気でね。火の元とか気をつけて、ちゃんと毎日3食たべなさいよ」という母に、うん。小さくうなずいてお母さんも元気でね、と手を振って改札口で別れた。

 

 

やっぱり私はまだ母に、ありがとうが上手く言えないくらい子供だ。